参院選 京都選挙区候補 日本共産党

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アスベスト被害者の声

2016.03.15

本日(3月15日)、市田忠義参議院議員がアスベスト被害の調査に来られました。
私も、市田さんの調査に同行し、先日の京都地裁勝訴判決の説明なども行いました。

被害者の声を国会に届けたい、という市田さんの思いを受けて、京都地裁判決前に被害者・家族・遺族の方々が綴った文章をいただきました。
その一部を紹介します。

「夫は中皮腫を発症する1週間前は元気で働いておりました。入院してたった8か月で他界しました。『正直者が馬鹿を見るんやな』と苦しい息の中で呟いた事を、夫の無念さを昨日の様に思い出します。」

「夫は、健康診断で『肺ガン』と言われ、医師から『手術をすれば山登りも出来るようになります』と言われ手術しましたが、発症からわずか2年、64歳の若さで他界しました。本人もまさか自分が死に至るとは思ってもいなかったと思います。
生前、夫は、自分の仕事には定年がないからとはりきっておりました。私はあんなに元気だった夫が亡くなったことがいまだに信じられません。アスベストが憎いです。」

「夜中、せきがひどく続く時は、救急車を呼んで病院に行かなくてはいけないのかと思う時もあり、あまり静かな時、静かになると大丈夫かと顔をのぞき込んだり、本人もしんどくて眠れない日もありますが、家族も心配と不安で眠れず、精神的に疲れ切ってしまう日もあります。」

「私は事業主であり、約15年前に職人が肺がんで亡くなり、現在肺がんを患っている者もおります。事業主であったことを考えると責任を感じ、心苦しく思っております。
私も肺の病気を発症し、職人には何の保証もできず、私自身事業を続ける事もできなかったので大変悔しく思っております。」

「鉄道好きだった夫は、(肺がんを発症し、左肺をすべて切除したため)遠方の旅行は無理でも来春(2016年春)に京都梅小路に誕生する『鉄道博物館』へ行くのをとても楽しみにしていましたのに、この(2015年)6月に本当にあっけなく亡くなりました。」

「主人は教師になる夢をもって勉学に励んでおりましたが、60歳を過ぎた父親から『左官屋を継いでくれんのか』と言われ、教師の道を諦め左官屋になりました。本意ではなかった仕事でしたが、必死で働きました。結果アスベストに侵され77歳で亡くなりました。
主人の父は100歳、母は95歳と長生きしたから、『僕も長生きするやろうし、あんたの世話してあげるで』とよく言ってくれましたが、叶いませんでした。」

「亡くなる時、声も発せなかった父。家族に何も告げられず、私も何も最期の言葉を聞いてあげられなかったことが無念でなりません。」

「こういう別れ方をするとは、主人も私も思ってませんでした。これからのんびり残りの人生を過ごそうと思ってたもので、何とも言葉に表す事ができないほどです。一家の大黒柱を亡くして一人になりました。本当に心細い毎日を送ってます。
主人は『何人亡くなったら、国は認めてくれるんや』と、よく訴えていました。」

「5年前に右肺にガンが見つかりました。抗がん剤と放射線による治療を受け、肺炎も2回起こし、今は片肺状態で、すぐに酸欠状態になり重労働はできません。患った以上、私は覚悟はできていますが、残される妻がふびんに思います。(私たちには子どもがいないのです。)」

市田さんには、この声をぜひ国会へ届けていただきたいと思います。
そして、私も、この声を国会へ届けられる議員になりたい、ならなければ、との思いを改めて強くしました。

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